他のサイトの掲示板でランダムウォーク理論の是非について盛り上がっていたので、これについての意見を書く。
ランダムウォーク理論は元々現実とは関係のない仮想的状況に基づいた仮説を下敷きにしており、元々何かを証明するものではない。現実の世界に適用してみていろいろ推論することはできるが、それはあくまで推論でありどんなに飾り立てたとしても何も「証明」はしない。ただ、推論をする人の「証明したい」という気持ちがその推論を断定のように見せかけるのだろう。そして、推論をする人の相場に対する先入観がテクニカル分析の蔑視に走ったりなどという理論的な混乱を生み出す。
理論によって証明するという試みは甚だしくファンダメンタル分析的な考え方であり、トレンドフォロー的ではい。そしてその絶対性の希求は実際の相場ではとても危険なものになるであろう。
この2つの要素は共に「成功」に欠かせない要素だと思われる。トレンドフォローの例ではこの戦略に従い続けるという頑固さと、この戦略に方針転換できる柔軟さを必要とする。
取引に限らず、仕事での苦しみを話す人は、あまりに頑固さに拘り過ぎている場合が多いような気がする。「自分はこうあるべきだ」「自分はこうなりたい」というものに余りに囚われすぎて自分で自分を縛り付けているように見える。
拘り続けて最後に報われるというご都合主義的な成功物語を受け入れるのも、そういった拘りの反映ではないだろうか。その物語の主人公が実は柔軟な心で方針を決めていたとしても、その事実を無視し、その後の頑固な頑張りの部分だけを見て、自分は頑固なままでいいんだ、と結論付けている。
「頑張れ」よりも「気楽にやろう」と声をかけた方が効果的な人は案外多いのではないだろうか。
最も初心者向けの指南本は仕掛けに夢中であり、経験者向けになると、仕切り、資金管理を含めた全般的な戦略、心理(規律)へと話題が広がっていく傾向があるようだ。
新しい要素を強調するときに古い要素を少し否定してみるのは教育的意味において適切なのだろう。そのため、仕切りを強調するときは仕掛けは大切じゃないといい、資金管理を強調するときは仕掛けや仕切りは大切じゃないといい、規律を強調するときは戦略など重要ではないという言い方になるのだろう。
実際は、重要性にランク付けできる類のものではないのだろうし、重要性という概念は実に相対的だと思う。マーケットの魔術師シリーズの中で、心理学担当の魔術師が心理的カウンセリングの結果取引から足を洗う人の事例をあげていたが、取引そのものが実は重要ではないという場合だって十分あり得る。
逆張り -- 価格が下がってきたときに買いを入れること
損切り -- 保有株の価格が下がってきたときに売り処分すること
ネット掲示板で逆張りに適した損切り方法という話題が盛り上がっていたので、心理的側面からこの問題について考えてみる。
技術的な意味では、検証で損切り幅の最適化を試みることは可能であり、実際、損切り幅によって収益は変化するだろう。
心理的な意味ではどうだろうか。冒頭の逆張りと損切りの定義を見ると、互いに矛盾していることに気付く。つまり、逆張りと損切りを組み合わせた手法を使うということは心に矛盾を抱えていることまたは心理的に受け入れられない技術を採用していることの現われかもしれないのである。もちろん、矛盾に気付き受け入れた上でのことなら問題はないのかもしれないが。
このことは間違いなく以前に書いたことがあると思うが、他のサイトの掲示板に載った意見を読んでいて感じたので書くことにする。
よく取引において経験が大事であるとか大事でないとかという話題が出る。私が違うなあと思うのは、経験を積んで得られるものがある聖杯のような相場技術を知ることであるとしているところだ。例えば、ある移動平均の使い方で利益が得られるとして、どの日数を使えばよいのかが経験によって分かるという意味合いだ。
私は経験はとても大事だと思う。しかし、このような意味では決してない。例えば、自分には合わないと思い込んでいたことがそうでもないと考えが変わったり、信頼できないと思っていたものが信頼できると考えが変わるといった、技術そのものというより技術についての考え方の部分などについて、経験というものが大きな意味があるのだと思う。そういった意味では経験とは取引の場のものに拘る必要はない。また、相場に乗り出すときは金の亡者になって周りが見えない状況になっている場合が多いので、経験によってそういう近視眼的な見方を解消させることが多くの場合で必要だろう。
ネット掲示板でシステムトレード系の人達がこの言葉を思い出させるような議論をしていた。
彼らは価格データを隅から隅まで調べ尽くして一般的に知られていない相場技術を見つけようとするのだが、その探索が単独銘柄限定、時間枠の短縮化....とどんどん特殊化の方向を突き進んでいくのである。
さて、相場技術での論議で最もやっかいなのが、せっかく見つけた技術が将来も役に立つのか?ということであるのだが、その技術が特殊な条件に基づくものであるほど汎用性が低くなり、当然将来性も怪しいものになるのではないだろうか。何か、欲しいものを得ているような気がする。
検証結果を統計学の観点から検証するという議論を見かけたが、過去と将来は同じではないという前提を考えないといけない。前提条件が特殊なものであればあるほど過去と将来は違うもののように見える。
TurtleTraderより
私も質疑応答は有意義なものだと思う。実際、教えるという行為で自分が何かを得るということは非常に多い。
タートルトレーダーの提案した質問に答えてみることはおもしろそうだ。その一部を拾ってみる
昨日まで投資とは関係のないことに時間をかけていたので、取引自体は行っていたがこのHPはしばらくお休みとした。ブログ的なHPを見る機会が多かったのだが、人様に読んでもらおうと思うならもうちょっと気の利いた、ちょっとした笑いを誘うような書き方をしなければいけませんね。
さて、今日はスリッページの話。数年前に相場関係のチャットをしているときに、実際、商品先物でスリッページをどれくらい見積もったらよいのだろう?という話になって、システムトレード関連の書籍が米国市場の銘柄で1枚につき100ドルと見積もっていることが多かったので、1枚1万円というのはどうか、という話をしたら、利益がほとんどなくなってしまうなあ、という答えが帰ってきました。
一般的に1枚当たりの取引金額は日本市場より米国市場の方が大きいので、銘柄に関係なく1枚X円という設定は無茶もいいところですが、スリッページというのは客観的に決めることのできないものです。
2003年10月にエド・スィコータの保守的な見解を紹介したが、私自身が現在使っている短期システムの不振(利益はあがっているもの少ない)は、スリッページの過小評価を反映したものといえるのかもしれません。
さて、エドの見解を要約すると、「その日の最高値で買いが成立し、最安値で売りが成立したと仮定せよ」ということになるのですが、この仮定は「デイトレードで利益が上がると思うな」と言っていることに気付きます。これは、私が想定していたスリッページ幅よりも大きい(利益が全部吸い取られるほどではないが)し、日本のネット上でのシステムトレード関連の話題がデイトレードに集中していることを考えると、とても過激な意見だと思います。
しかし、私の短期システムの不振を顧みると、エドの過激な意見がまっとうなような気がしてきます。
よく考えてみると、スリッページとは規定の難しいものです。値段が早く動いて注文値と約定値の違いが生じることのみに注目しがちですが、逆指値注文を置くことによって相場の動きに影響を与えることがあります。寄付や引けに注文を出したらスリッページを考慮しなくていいという意見がありましたが、日経平均先物のようにストップで取引が成立しない可能性が非常に低いものであっても、自分の注文で何ティックか約定値が動く可能性があるわけです。そして、その何ティックが取引シグナルに影響を及ぼすこともあるのです。
スリッページ幅に正解などないのですが、よくわからないものをないものと見なして自分に都合のいいような解釈をするようなことは避けたいものです。
ネット掲示板で、「1日x万円、1月yy万円コンスタントに稼ぐ」という目標を掲げている人を見かけた。本人は控え目な数字のつもりなのだが、実はこれはバフェットやソロスでさえも成し遂げられていないモノ凄い数字なのである。この伝説的な存在の2人でさえ、年率30%いくかどうかであり、毎日や毎月どころか毎年でさえもコンスタントな利益というわけにはいかないのである。
成功(金持ち)指南本が具体的な金額を目標に据えることを推奨することが多いのは認めざるを得ない。しかし、それは物質的な欲望に目がくらんでいる読者に喜んでもらうためのものだと思う。将来の結果などという究極的には自分の力だけではどうにもならないものを目標にすることによって、人は自分で自分を苦しめているのではないだろうか。